横浜で愛されて百余年、老舗果物店「水信」の歩み

水信はバナナの加工問屋として横浜に創業しました。
横浜港がバナナの主要入港地であったことから、地の利を生かし、バナナ加工では草分け的な存在として、1937年ごろには全国でも一、二の実績を誇るまでに成長します。

1945年、太平洋戦争下の横浜大空襲で一旦はすべてを失ったものの、戦争終結後には露天から商売を再開、1951年のバナナ輸入再開とともに、再度バナナの加工卸業に着手します。
バナナ市場の急成長とともに商売を大きくした水信は、横浜駅西口の再開発を機に、果実小売店と初めての飲食店舗であるフルーツパーラーを開店し、いまの水信の土台がつくられました。

「仲卸の⽔信商店」「⼩売の横浜⽔信」「飲⾷の⽔信ブルックス」という3業態に分社化した水信グループは、おかげさまで2015年に創業100年を迎え、フルーツの⽼舗として⻑きに亘り皆様にご愛顧いただいております。

「本当のおいしさを伝える」というミッションと
フラッグシップとしての「フルーツパーラー」

⾷に携わる企業として、⻘果の⽣産の現場から消費者に届くまで、⼀気通貫で関わっているのが水信の強み。「仲卸」「⼩売」「飲⾷」という3つの部⾨が三位⼀体となり、点や線でなく⽴体的な視点でとらえることが、感動という価値を創造する鍵であると私たちは考えています。

水信フルーツパーラーは、その水信の強みを生かし「本当のおいしさを伝える」というミッションを、飲食店舗において体現するための場所でもあります。
水信の飲食事業は、 1956年に横浜駅の西口に開業した「フルーツパーラー」の1号店が始まり。戦後の活気に満ちた商店街で、ハイカラなフルーツパーラーは、家族で来て美味しいもの楽しむという空間でした。
その原点を、100年の老舗というブランドとして形にした水信のフラッグシップが「水信フルーツパーラー」です。
水戸岡鋭治氏による、懐かしさと新しさが融合したデザインと、手間暇をかけた本物が持つ豊かさを感じる空間は、「ハレ」の時間を過ごす特別な場所。大人はもちろん、古き良きパーラーのように、子どもからお年寄りまでがご家族で楽しめる店であって欲しいと考えています。
本物が持つ豊かさを感じた子ども時代の思い出と三世代のファミリーで過ごした時間は、記憶にずっと残り続けます。さらにその次の世代へと受け継がれることで、皆様に永く愛され続けていく店になっていくことを、私たちは願っております。

水信フルーツパーラーという最高の舞台で「本当のおいしさを伝える」というミッションを果たすべく、私たちはこれからも、最高のメニューとサービスのご提供につとめてまいります。